2015年8月12日水曜日

海に向かって出発

2015年3月22日日曜日
 
 
♪ あったかいんだから~   海へ向かって出発です。

小松IC入口の民間道路整備会社前に面白いものを見つけました。



交通安全だ像

交通安全だ像




なんとなく和やかな気分にさせられます。
この像のネーミングについては、「会議で決められたものか」「一般公募されたものなのか」「担当者の独断と責任で決めたものなのか」非常に興味があります。
そういえば、小学校の頃「よくがんばったで賞」などがあったことが思い出されます。




勧進帳の里、
安宅の関


智仁勇 心の歴史ロマン

安宅の関 富樫・弁慶銅像前にて



安宅観光協会HPより

源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は、生来の猜疑心からこれを退けようとする兄頼朝に追われ奥州平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしました。頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設けます。
当、安宅の関守は冨樫左右衛門泰家。そして文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかります。一行の山伏姿を関守冨樫に疑われると、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ、難を逃れようとしました。
しかし再び強力姿(荷人夫)の義経が疑いをかけられると、弁慶はすかさず金剛杖を持って主義経を打ち据えます。冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのでした。
この物語は美談として能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として長く演じられています。






安宅の関 住吉神社

 
人生には、時として難所難関が立ちはだかることがあります。
今からおよそ800 年前、安宅の関で兄頼朝に追われて落ちのびる悲運の武将義経をかばう弁慶。知りつつ逃がす関守富樫。日本海を背に、感動のドラマがありました。以来、歌舞伎 十八番の一つとして今日まで受け継がれた勧進帳の物語。
安宅住吉の大神のお助けにより、一行は難関の『安宅の関』を見事突破します。皆様やご家族が難所、難関を乗り越えようとされる時このお守りにより必ず難関突破の御神徳を授けて頂けます。

安宅港 灯台
海に来た証拠に灯台をバックに写真撮影。



というわけで、小松市は歌舞伎の町だそうです。
原付&原付二種のナンバープレートには、小松市シンボルマークデザインが描かれています。




小松市 ナンバープレート


ナンバープレートの最後の数字「5」は、細かい画像処理がめんどくさかったので消しませんでした。



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